今週は前回の教育制度の概要を基に、私がカナダの教育から経験し、得たものについて、お話ししたいと思います。なお、言うまでにもありませんが、全て私的な考えをもとに書いております。失礼のない様に配慮し書いているつもりですが、それに外れる様な事があった場合には、この場をお借りして、先に謝りたいと思います。また、今までの不動産のブログ同様、ご意見ご感想をいただけるのであれば、いつでも歓迎して読ませて頂きたいと思います。

1)海外教育でコアになったこと

私が日本を最初に出たのは1983年です。13歳でした。それから色々な経験をし、現在の49歳になるまで、日本で過ごした8年間以外は、アメリカとカナダで過ごしてきました。学生の時には、交換留学生でベルギーへ1年ほど留学しました。今回は2009年に日本を出ました。

この長い間の海外教育でコアになった事は、まずは自分のアイデンティティーを明確にする事でした。当初の渡加後のティーンエージャー時代は、本当に自分が何人だったのかも分からなくなり、雲の上にお城を築く感じでした。西洋文化という城を築こう(習得しよう)とも、日本文化という土台(雲)のうえでは、建てている城(西洋の文化と自分のアイデンティティー)は常に崩れ落ちていき、全く身につきませんでした。自分が本当に誰なのか、なんなのか、ロスト・チャイルドの様に困惑していた日々が続きました。

2)自分のアイデンティティー

でも結局たどり着いたのは、自分は日本人であると言う事でした。これは本当にとても大事な事だと思います。どこにでも通用する世界人であると言って、誰とでも会話が出来、対応出来る素質は素晴らしいと思います。世界には複数の文化や歴史が存在し、どの様な話の中でも、「じゃあ貴方はどう思うの?」と個人の意見を問われます。その場合、みんなに良く思われようと八方美人でいると、自分への信頼は即失われ、結局は何も考えていないウグイスと思われ、相手にしてもらえなくなります。私は日本人の自分が恥ずかしく思った思春期もありました。そして、それを隠す為に、背伸びをして西洋人として振舞った時もありました。でも、結局は無駄な努力で、「何そんなに無理してるの?」、「それはお前じゃないじゃん」と言われた時もありました。結局、八方美人で通そうとしていた自分は、薄いものでした。大学生になって、講義中の議論を通して、自分のアイデンティティーを考えさせられる機会が多くなり、そして、アメリカ的なアジアの見下し方には、悔しい思いをした事もありました。これだけ西洋人の事を理解しているが、自分は西洋人ではない。。。じゃあ何なんだ。。。と日々考えさせられました。結局は、多人種・多文化が理解出来る日本人だったんです。

3)全体的な考えを掴むこと

その延長線上で、全体的な考えを掴む事はとても重要でした。枝だけを見るのではなく、森全体を見る事で、マクロレベルでの話を客観的に見る力を得ました。人間は断片的な細かい話については知識を深める事は簡単にできても、パズルの各ピースをつなげ、一枚の大きな絵にするのは、不得意な人も多いと思います。歴史で言えば、フランスについてはとか、アメリカについては、よく知っている人は多くいる様です。でも、例えば、アメリカの開拓が進んだ時のイギリスの社会的状況や、ヨーロッパでは何が起きていたか、その時のアジアの状況は、という質問は苦手とされる方も多い様です。マクロ的に世界を見る事で、文明の発展度、力の差とモメンタムなどが見えてきます。例えば、現在のトランプ氏の政策と30年周期で見た、第一次世界大戦からのアメリカ歴史を考慮すると、これからのアメリカが見えてくると思います。

4)西洋教育から学んだこと

よって、私が学んだ西洋教育とは、1)自分を明確にし、2)自分の意見を持つ事、3)そしてその考えを理論的に例を用いて説明できるようになる事、4)そして多種多彩な文化と考えが存在する事を理解する事です。分からないから、聞かないではなく、分からないから聞いて自分の理解を深める。これをすればもっと深い対談が可能になり、お互いの理解を深めることが可能になると思います。同時に、世界を客観的に見ることで、何処にチャンスが存在し、自分を守る方法は何かという事を、自問自答できる様になると思います。結局は、いかに自分を守りながらリスクを張っていくかというのが、世界で生きる一番大きなポイントなのではないでしょうか?

では、次回はカナダ・バンクーバーの人柄についてについてお話ししたいと思います。